デヴィッド・ボウイと僕
あけましておめでとうございます。
今年もマイペースに更新していきたいと思ってますので、よければお付き合いくださいな。
ところで、今日1月8日はデヴィッド・ボウイの72回目の誕生日。
デヴィッド・ボウイは僕にとって特別なアーティストである。
そのビジュアルや彼の創り出す音楽など、すべての要素が僕に影響を与え、今現在の僕を形成している。
高校生だった3年間はほとんどボウイ漬けと言っても過言では無い日々を過ごした。この多感な時期に、彼が僕に与えた影響は計り知れないものがある。
高校入学と同時に突然現れ、その終わりと同時に突然消えていったボウイ。彼ほど特別な存在はもしかすると今後の人生でも現れないかもしれない。
僕の中でボウイがここまで大きな存在になった理由は一体なんなのだろうか?
そのひとつとして、彼が創り出す世界の奥深さがある。ボウイは好奇心旺盛な人として知られていて、彼が関心を寄せる事象は音楽や絵画の分野にとどまることなく、書籍や黒魔術の分野、ついには量子物理学にまで至ってしまうほど多岐に渡るのである。
そういった様々な分野から影響を受けて創作されるボウイの作品は当然のように奥が深く、受け取る側も相応の知識量をもって考察することが要求される。もしかすると論文のひとつでも書けてしまうかもしれないくらい難解なのだ。
だが反面、その謎解きの過程は大変興味深い発見も多々あり、また知的好奇心をくすぐられるものでもある。
このようなボウイ考察の面白みに気付かされたきっかけは、「デヴィッド・ボウイ詩集ースピード・オヴ・ライフ」という1冊の本に出会ったことがきっかけである。(現在は絶版)
(どうやら、CiNiiによると国内のいくつかの図書館で閲覧ができるそうです。興味がある方は絶対に読んでおいたほうがいいと思います。)
著者である古川貴之氏による、原詩から忠実に翻訳された訳詞とアルバム・曲ごとの丁寧かつ大胆な考察に完全に魅了されてしまった僕は、いつかボウイのことをある程度理解できる頃になったら、自分なりのボウイ考察をなんらかの形でまとめてみたいと決意したのであった。
そして現在、僕は大学生である。まあまあ自由な時間はあるし、諸先輩方ほどでは無いにしろボウイに関する知識も身についたと思う。
ならば今しかないということで、これからこのブログ上で「ボウイ考察シリーズ」と銘打って論を展開していこうと考えたわけである。
こんな大げさな題名をつけている割には、文章は未熟になってしまうだろうし考察も浅いところがあるかもしれないが、自分も持てる力を精一杯振り絞って書いていくつもりです。
今回はこんな感じで自分語り&所信表明的な記事になってしまいました。
では、また日を改めて第1弾の記事を投下していきたいと思います。(しばらく後になりそうですが…苦笑)