SMALL TALK

small talk : 世間話、雑談

Definitely Maybe / Oasis

今日はオアシスのデビューアルバムについて。

たまにはこういうベタなロック名盤についての話でもしましょうや。

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今やロック好きで知らぬものはいないとも言えるこの大傑作。

ノエルの類いまれなる作曲の才能という奇跡に、リアムの神様からの贈り物とでもいうべき素晴らしい声という奇跡が重なった、この世の奇跡の結晶のようなアルバム。

オアシスファンの中で、この1stと2ndを嫌いな人はほとんどいないのではなかろうか。それくらいの絶対的な存在であるが故に、オアシスというバンドを苦しめてきた罪深きアルバムでもある。

 

このアルバムの素晴らしさは十分語り尽くされていると思うので、それについて今回書くつもりはない。(気になる人はロッキンオンやクロスビートから出ているオアシス本でも買って読んでほしい)

今回僕が話したいのは、オアシスのディスコグラフィにおけるこのアルバムの特異性である。彼らのキャリアを振り返った時、どうしてもこのアルバムだけが浮いて見えてしまうのである。

そしておそらく、その原因は当時のドラマー、トニー・マッキャロルだろう。

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写真の人物、トニーはオアシス最初期のドラマー。また、ロックミュージシャンとしては珍しい生前葬を行なった人物としても有名。詳しくはこの「Live Forever」のMVを見てほしい。

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オアシスを少しかじったことのある人ならばきっと彼の存在や、彼がバンドの中で壮絶ないじめにあっていたこともご存知だろう。彼に対するいじめのエピソードは枚挙にいとまがない上に、その全てが理不尽でひどい。まあギャラガー兄弟絡みだから仕方がない部分もあるが…。かわいそうなトニー!

どうしてそんな壮絶ないじめを受けていたかといえば、1番の理由はプロの割には下手くそなドラミングだろう。アマチュアバンドならまだしも、プロのバンドとしてはあまりにも素人レベルすぎるのだ。

だが、そんなトニーの素人ドラミングがこの「Definitely Maybe」に他のオアシス作品とは異なった、どこかパンクでインディー臭のする雰囲気を与えているのである。

 

例えば「Rock 'n' Roll Star」や「Up In The Sky」で見られる縦ノリのリズムは完全にパンクそのものである。この頃はよくジョニー・ロットンのようだと言われていたリアムの声も合わさって、どこかセックス・ピストルズ風味も感じさせる。

「Bring It On Down」もピストルズ風。こんな曲は1st以外ではない。

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Live Forever」では変わったドラムパターンを披露しているトニーだが、これもやはりズンドコ感が感じられ、素人臭さは拭えない。

だが、それがかえっていい意味でのインディーロック感を醸し出していて、この曲のエヴァーグリーンなイメージに一役買っているように思う。

 

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「Supersonic」でのトニーのドラミングは、そこまで上手いわけでもないのに何故か自信満々なように聞こえる。

リアムの自信満々のヴォーカルとも合わさって、この曲のふてぶてしさを増強するまさにピッタリのドラミングとなっているのである。

多分トニーも狙ってそう叩いたわけでは無いだろう。なのでこれもまたノエルやリアムの才能と同じく奇跡なのである。

 

トニー・マッキャロルはこのアルバムのレコーディング後にあえなく解雇されてしまった。なのでこの「Definitely Maybe」が彼の参加する唯一の作品ということになる。(厳密に言えば2ndアルバムでも1曲だけ参加しているが)

2ndアルバムからは名手スティーブ・ホワイトの弟、アラン・ホワイトが新ドラマーとして参加しており、オアシスの楽器隊は盤石なものとなった。

バンドが次のステップに進むためには必要なプロセスだったのだろうし、実際それに伴い曲の完成度も上がったのでドラマー交代は適切な判断だったと言えるだろう。

だが同時に、1stアルバムにあった荒削りでパンキッシュな雰囲気は完全に失われてしまったことも事実である。

若さゆえの勢いや全能感、そしてエヴァーグリーンな輝きに溢れた無敵のオアシスを聴くには、このアルバムがたったひとつの選択肢なのである。

この事実こそが「Definitely Maybe」の、20年以上の長い年月を経ても全く衰えることのない求心力の源なのだろう。まさしくLive Foreverなのである。